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薩摩の食紀行

Vol.1
薩摩のかつお郷土料理(鹿児島県 枕崎市)

▲枕崎市

出小屋(いでごや)と呼ばれるかつお節製造の工場から、空に向かってかつおを燻(いぶ)す煙が立ちのぼり、まちなかで車の窓を開けると、一瞬で車内がかつお節の香りでみたされます。そこは、かつお節の産地として有名な鹿児島県枕崎市です。

 

枕崎ではかつお節だけではなく、他の地方ではなかなか見られない、かつおの様々な部位を使った郷土料理や、かつおにまつわる独特の調味料があります。
なぜ枕崎でかつお料理が発達したのでしょうか?

 

かつおがたくさん水揚げされるからというのももちろんその理由の一つですが、おそらくそれだけではありません。


▲安藤広重 「日本橋初かつお」

『女房を 質に入れても 初鰹』という川柳があります。

 

江戸時代、かつおは庶民の手がとどかない高級品でした。
文化九年、日本橋魚河岸に入荷した初鰹に一本三両の値が
ついたといいます、三両といえば当時の下級武士の年収に匹敵する
ほどの値段。無理をしてでも人に先駆けて初物を食べるが
江戸っ子の粋だったのです。

 

枕崎で本格的にかつお節が製造されるようになったのも、同じ
江戸時代と考えられています。寛政年間(1789~1800)版の
『日本山海名産図会』には、「土佐、薩摩を名産とする」と書かれ、
『寛政武鑑』によると、薩摩藩はかつお節を幕府への献上品
としたという記述があります。


生のかつおだけではなく、かつお節も献上品にされるほど貴重なものだったのです。

 

そこで枕崎の先人たちが目を付けたのが、かつお節を作る際に副産物としてでる、残り物の活用だったのではないでしょうか。

 

かつお節には身の大部分が使われます。
残るものは頭や内臓、骨と尻尾、骨についたほんの少しの肉、かつおを煮た煮汁・・・。
これらは捨てられる寸前のもの。
先人達は工夫を凝らし残ったかつおをいかに美味しく食べるため知恵をしぼりました。


▲(図1)かつおの佃煮

 

骨にのこった肉は、甘い九州醤油で煮て、噛むとじんわり旨みが染み出し、

ホロッと身がくずれ、炊きたてのごはんにぴったりの「佃煮」に。

(右図※1)

 

かつお節を作る際にかつおを煮た汁は煮詰められ、味噌汁にほんの

数滴いれるだけで、奥深い旨みとコクをプラスするかつおエキス「せんじ」に。
薩摩の大名島津公もこの「せんじ」を富国強兵、万民保健の医療食品として

推薦しその歴史は200年に及びます。


▲(図2)かつおのトロ『ハラガワ』

 

脂が多すぎてかつお節には適さないため切り取られてしまう、かつおのトロの

部分は焼いて食べると芳(こう)ばしくて食感が堪らない「ハラガワ」に。

(右図※2)

 

 

内臓も発酵させて「酒盗(しゅとう)」になります。
これをつまみにすると酒がいくらあっても足りない、酒を盗んででも食べたいという由来の珍味です。心臓や真子(卵巣)、白子もあますことなく食べられます。

 

 


かつおにはたんぱく質、疲労回復に効果のある鉄分やビタミン類が多く含まれます。
男たちは、体力を使う船上やかつお節の製造現場で、女たちは男たちが釣ったかつおやかつお節を行商するために、日常的にこれらを食べて健康を維持していたのではないでしょうか。

 

 

豊かでない時代。手に入る食材を有効利用し、美味しく食べるために庶民の知恵がうんだこれらの伝統料理は、今も枕崎で、鹿児島で愛され続けています。


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